月別アーカイブ: 2014年5月

ハロウィンの起源にあたるケルト人のの家族制度

ハロウィンのケルト人についての歴史・文化を知るともっと面白くなります。

紀元前ごろのハロウィンの起源にあたるケルト人のの家族制度は、親と子以外にも、祖父母、兄弟、いとこなどが共に住む大家族制度であり、仕事の共同体をつくっていました。そして、いつくかの家族が集まって、一つの部族をつくり、絶対的な権力を持つ部族長のもとに結集していました。戦いや移動も部族単位で行われ、新しい土地を見つけると、部族全員がそこに住みつきました。部族には、吟遊詩人がいました。戦いの後や収穫期の宴会では、竪琴(たてごと・ハープ)をもった吟遊詩人が、音楽を奏でながら、神々や部族の歴史を語ったと言います。吟遊詩人は、部族長に次ぐほどの高い地位が与えられて、尊敬を集めていました。

ケルト人は、この部族長以上の権力を認めず、部族間での争いごとも少なからずあったようです。そのため、ヨーロッパ全土にケルトの部族が広がっているにもかかわらず、ローマのように統一した権力が現れることがなかったのです。

ケルト人らしい不思議さを感じさせます。

 

 

ハロウィンのケルト民族の宗教と生活

ハロウィン文化の起源となる重要なケルト民族の宗教と生活を知ると、ハロウィンで仮装することの発端が理解できます。キーワードは、「自然信仰」です。

エジプトやギリシア、ローマなど、同時代の文明との比較で、ケルトの存在を際立たせるものとしては、その宗教性にあります。エジプトでも、ギリシアでもローマでも、神々のために大きな神殿を建てて、神々の存在感を知らしめたり、王のための巨大な墓が立てられるのが通常ですが、ケルトの宗教に関しては、なぜかそうした巨大な宗教的建築物がほとんどなかったのです。それは、必要がなかったのであり、その代わりに自然の中に神聖なものを見つける自然信仰だったのです。緑や森や泉や河や湖が、ケルトの信仰の対象たるものだったのです。

そこでは、日本の古代ケルトアニミズムとよく似たケルトの宗教は、神官をドルイドといい、一般には神官の名前そのままでドルイド教と呼ばれるようになっています。霊魂の不滅を信じて、400以上の神々が存在すると考えられていて、部族によっては、神々の名前が少々違っていることはあったが、どこの部族であっても、主神となっているのは、「テウタテース」と呼ばれる神です。テウタテースは、ケルト語で「国民的な」という意味を持ちます。この神だけは、欧州各地のケルト部族すべてが同じ名前であったと言われています。

この神と向かい合うことができたドルイドは、絶対的権力を持ち、身分は軍の隊長と同じか、それ以上のものを与えられていました。ドルイドは、占いを通じて神の信託を伝え、部族の重要決定から争いごとがあった場合には、裁判官としての役目を受け持つこともありました。ケルトの祭礼はキーワードとなる「樫の木」の森で行われ、時に首を刈るなどの人身供養もあったと言われています。

森を信仰の対象にしていただけに、人々の暮らしにも、木に依存している生活になっていた。鉄器で作った斧やノミ、鋸などは、木工職人の技術を向上させ、中でも樽作りの技術は素晴らしく、ワイン用として、ローマもケルトの樽を欲しがったほどの出来合いでした。住居は、木材で骨組みをした上に泥を塗って、壁を作り、かやで屋根を作りました。
また、木材は船にも使われ、大陸のケルトの民族は、ローマ河やセーヌ河を運河として、利用し、イタリアで購入したワインの運搬にも良く使われたと言われています。

このようにハロウィンに深い縁があるケルト民族は、自然信仰の結果して、自然に木に依存する生活がうまれました。

ハロウィンコスプレのコツ

自分の大好きなキャラクターのコスプレをするチャンスです。かっこよかったり、きれいだったり、クールだったり、するそんなお気に入りのハロウィンコスプレをしてみましょう。
ハロウィンでは、仮装はなんでもありなので、普段あまりコスプレという言葉に馴染みが無くても、自然とおしゃれに子供から大人まで仮装を楽しめます。
見ているだけでなく、積極的に大好きな人気キャラクターに変身してみましょう♪最初は、アクセサリーや小物や帽子などから始めて、ハロウィン衣装を着て、キャラクターの仮装レベルから「着るコス」レベルから完全コスプレである細かいディティールを再現する「完コス」と言われる完全コスプレの上級者になっていくかもしれません。

いきなり上級者レベルのハロウィンコスプレは、できないと思いますので、まずは、自分にあった方法で選び、楽しんでください。ハロウィンの衣装を着てパーティーやイベントに参加しているうちに、段々と「同じ魔女のハロウィン衣装であるのに、あの人の衣装は目立っている」など気づくかもしれません。そのような時こそ、さらにレベルを上げるチャンスです。小物を追加したり、メイクを変化させたりしてみてください。

さらにハロウィンコスプレをする上で大切な心構えがあります。そのキャラクターになりきるのですが、魔女や海賊や妖精や天使やゾンビやパンプキンや猫などのハロウィン衣装を着る時、その「キャラクターの設定研究」が大切になってきます。キャラになりきるには、ただ、外見だけを似せるだけではなく、そのキャラクターの性格や背景、考え方、歴史的意味などまで知っているとより迫力が自然と醸し出されます。そうすると、ポージングや表情が驚くほど、自然に馴染み、多くの人の注目を集めるようになります。これがハロウィンコスプレの秘訣であり、コツと言われるものです。そんなに難しくないものなので、少しでも仮装するキャラクターを研究してみてください。ドラキュラの仮装をするなら、ドラキュラの映画や本を読んでみるだけでも、全く存在感が違ってくるでしょう。ちょっとしたプロの役者さんになればよいのですね。

もう一つ大切なことは、「似合うかに合わない」や「流行っているか流行っていないか」ではなく、「自分が仮装するキャラクターへの愛」があるかどうかです。これこそ、ハロウィンコスプレの極意になってきます。

特に大好きになってくると、どの表情が一番魅力的でどのポージングが一番クールかなど詳しくなってくると、コスプレがより楽しめるでしょう。そこに、自分らしさも表現されるとさらに自分とキャラクターを合わせた存在感を出して、より人々を魅了させるものになるかと思います。ハロウィンのイベントやパーティーで、その時の心地よさを存分に味わって楽しんでください♪

ハッピー ハロウィン!

ハロウィンの起源であるケルト民族

ハロウィンの起源で重要になるケルト人はいったいどこから来たのでしょうか?

原ケルト人と呼ばれ、ケルトの祖先と考えられている人々です。青銅器時代末期までは、ヨーロッパ大陸の定着農民は死者を土葬にしていましたが、それを火葬を行い、灰を骨壺に収めて葬ようになり、骨壺は、一か所に集められて葬られ、墓地を作った人々です。

紀元前3000年から2000年の間に、アルプスの北側、ライン河とドナウ河に挟まれたヨーロッパの中部の森林地帯で、いくつもの部族が理解する共通の言語や独自の文化を形成しました。紀元前7世紀頃からヨーロッパ各地に移動を開始始めたとされます。

ケルト人は、各々、定着農民が住んでいたと考えられる場所に移動して、定着農民を駆逐していきます。その決定的な要因が鉄器の使用であり、青銅器に比べると、はるかに加工しやすくて、剣や銛
(もり)が簡単に作ることができ、先住民との戦いでは大いに役立ちました。

ケルト人は、好戦的な民族だという噂があるが、それは、当時において文字で記録をする習慣があったギリシアやローマによる偏った見方にすぎないのです。戦術は先住民よりも機能的であったとされます。ケルト人は、、車作りの技術にも優れていて、戦士をのせた4輪や2輪の戦車を開発したり、また、馬にも乗る習慣があったため、機動力もあり、強力な戦隊となっていました。

鉄器は、戦争だではなく、農耕や狩猟にも使用されて多いに発揮されて、鉄でつくった鍬(くわ)や鋤(すき)などは生産性を向上させたり、また鎌に至っては、その優れた形状は、19世紀まで別の民族にも受け継がれて、使用されたされています。

狩猟では、銛や短剣が活躍されて、当時のケルト人の生活は、他の民族よりも秀でている文化がありました。

こうして、ケルト民族は、ヨーロッパ各地に広まり、最盛期にはブリタニア(現在のイギリス)、ガリア(フランス)、イベリア(スペイン)、西ドイツ、北イタリア、バルカン半島等までに勢力を拡大していきます。

このようなケルト民族の起源と勢力の拡大が見られました。

ハロウィンを知る上で欠かせないケルト人の文化は、長い歴史のあるものだったのです。また、ハロウィンで魔女などの仮装・仮面をしたりするアニミズム的宗教感も特徴的です。

ケルト民族の影響を受けたハロウィン

キリスト教徒とケルト民族の文化の影響を受けているハロウィンですが、ここで、ケルト民族とはいったい何という疑問が生じるかと思いますので、これからまとめていきたいと思います。
ハロウィンは、ケルトなしには、語れない文化であり、祝祭なのですが、多くの人はケルトのことをほとんど理解できていないので、是非このハロウィン衣装を着て仮装したりする機会にケルト文化について理科を深めて、興味を持ってもらえればと感じます。よりハロウィンが大好きになり、同時に文化も知ることができ、教養も深まり、ひょっとすると、スコットランドやアイルランドに旅行に行きたくなるかもしれません。

面白いことに、日本の教科書には、”ケルト”という言葉が2回しか出てきません。なのでケルトのイメージが全く湧くはずがないのは無理がありません。ただ、「ケルト」といえば、ミステリアスな雰囲気やイメージが多く、同時に多くの魅力もあります。例えば、石に掘られた曲線の絡まる文様や精霊信仰などは一例になります。

高校の教科書を見てみると、ケルトという言葉が出てくるのは、2回ですが、一度目は、カエサルがガリア(今のフランス・ベルギー地方)に遠征した「この地のケルト人を平定した」とかかれているだけです。そして、2度目は、「アルプス以北のヨーロッパには、前6世紀ころからケルト民族が拡がっていたが、ゲルマン民族は彼らを圧迫しながら四方に広がった」(山川出版の世界史B詳説から)だけなのです。両方とも、主語レベルでの扱いではなく、ヨーロッパ大陸を席巻することになる別の民族を中心にした章に、引き立て役として、ほんの一瞬出てくる程度です。

カエサルが代表する場所のローマやゲルマン民族は、共に現代にいたるまで、世界に影響を与えてきた国であるのは間違いないが、その陰には、教科書に書かれていないケルト民族の魅力が知られないままになってしまっている。ケルト民族の歴史や起源や宗教や生活などを次回にまとめていきます。

ケルト民族のアニミズム的な習俗が見えてくると、ハロウィンの仮装が時代を超えて、自然な流れで受け入れられます。現在の商業的ハロウィンイベントと同時に歴史のあるハロウィンを2つ見ることができると感慨深くなります。

ハッピーハロウィン!